2018年03月12日
ト一屋春のお弁当
2018年3月12日(月)
今日はあまりの咳(せき)のひどさに朝一番でお医者さんに行ってきた。
薬を調合してもらって昼から新しい薬を飲んだが、
少しは良くなったようにも感じた。
医者に行った帰りによったト一屋駅東店で見つけたお弁当。
上が「かに飯弁当」下が「鶏そぼろ弁当」。
娘と二人で食べたが、春らしいお弁当に目の保養にもなった。
味も申し分なかった。
2018年03月12日
庄内地震の歴史
2018年3月12日(月)
昨日は大震災からちょうど7年の節目の日だった。
そうか、あれからもう7年が過ぎてしまったか。
酒田市南新町にある日和山を散歩しながら見るともなしに赤い大鳥居脇の小道を登って行った。
ここは以前も行ったことがある甲午(きのえうま)震災記念碑があるところだ。
『甲午震災記念碑』
明治27年(1894)10月22日午後5時35分、庄内地方は大震災にみまわれた。
夕飯の時刻でもあったので、火災も発生し、未曾有の大惨事となった。
酒田町の過半数に当たる1747棟の家屋が全焼し、160人を超える死者がでた。
庄内全体で死者700人を超し、焼失家屋も3500棟を超したが、
船場町(ふなばちょう)、傳馬町(てんままち)、秋田町、袖浦村、広野村、新堀(にいぼり)村など、最上川下流域地帯の被害が特に激しかった。
天皇皇后両陛下の御下賜金(ごかしきん)、全国からは多額の義援金が送られるなど震災救侐(きゅうじゅつ)があった。
本間家は仮設病院建設の為に200円を拠出した。
旧庄内藩主酒井氏、風間氏、本間氏、松井氏、池田氏など鶴岡、酒田の豪商有力者による救援炊き出し、
本町太平医師など町医者による病人、怪我人の医療が行われた。
明治33年、白崎善吉、橋本熊五郎、木村茂三を建設惣代人とし、
酒田浄福寺住職菊地秀言が碑文を作り、石碑を建てて賑侐(しんじゅつ)の徳を悠久に伝えるとともに、
防災の心構えを忘れないよう是に記した。
(全文)
「甲午震災」とは「庄内地震」の事であり、マグニチュードは7.0
山形地方気象台の記録に拠れば「死者726、負傷者1,060、住宅全壊3,858、家屋焼失2,148」の大惨事だった。
その後も酒田大火など大きな災害に見舞われながらも、
この町に住む人々はしぶとく生き抜いている。
しかし、いつやってくるかわからない自然災害。
その気構えはしっかりと持ちつつ対策を立てながら生きていきたいと思う。