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黒メダカ
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毎日の日記代わりに綴っているが時々羽目を外すこともあり。
美味しいものには目がないが、以前はこよなく愛していた日本酒などのアルコールはほとんど嗜むことがなくなった。
心臓の持病はいつ悪化するかわからない厄介者。

2018年01月30日

酒田本港と最上川を繋いだ下瀬閘門(こうもん)

酒田本港と最上川を繋いだ下瀬閘門(こうもん)

酒田本港と最上川を繋いだ下瀬閘門(こうもん)


2018年1月30日(火)

連日の冷え込みでなかなか最上川の氷結が解けない。
それでも出羽大橋下流域になると何とか氷は解け出し日本海へと流れていた。

そんな酒田市下瀬の最上川に面したところに下瀬閘門跡地(しもせこうもんあとち)がある。

私がまだ小学生だった頃、
今は亡き父が私を連れてこの閘門にハゼ釣りに来たことを思い出した。

父はそれほど釣りが好きそうではなかったが、
私が熱中していたのを知ってあえて自転車でこんなに遠い下瀬閘門まで連れてきてくれたのだった。

昔は入れ食い状態でハゼだけではなくシノコダイやカレイなどがおもしろいように釣れた。
その後父は何を考えたのか中古のポンポン船を買い新井田川に係留し、
時間を見ては近くの消防団仲間と海へと釣りにいくのだった。

父が船をいつ手放したのかは知らないが、
その時の下瀬閘門が無くなり現在では跡地となっていることを知ったのはずいぶん経ってからだった。

下瀬閘門跡地の説明書きにある分を記載しておく。



「最上川と酒田港を繋いだ下瀬閘門(こうもん)跡地」

 大正時代の最上川河口は全国的に有名な河口港であったが、
河口港の宿命である流入土砂により水深が大きく変動し、
また、入港船の大型化に伴い水深不足に悩む酒田港の利用は次第に減少した。
 このため大正10年から昭和7年にかけて最上川と港を分離する工事を行い、
港では大型船の就航が可能となった。一方最上川と港に水位差が生じたため、
船の就航が可能なように水位差を調整する下瀬閘門(運河)が設けられた。
 閘門は昭和57年に利用減により取り壊され、現在は下瀬樋管として、
その姿を残している。


酒田本港と最上川を繋いだ下瀬閘門(こうもん)


いつもは水位を計るための水位計だが、
氷に囲まれて役に立たない状態になっていた。





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Posted by 黒メダカ at 08:13│Comments(0)酒田関連
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