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黒メダカ
黒メダカ
何よりも自然が大好き。そして旨いものが大好き。ニックネームをめだかの親分から黒メダカへ変更しました。

2017年09月30日

遊佐町西通川の正体




2017年9月30日(土)

遊佐町立藤崎小学校のすぐ脇を流れる西通川(にしどおりがわ)。
歴史は古く、江戸時代初期、最上義光の時代1601年~1622年に作られたと記録されている。

遊佐町吹浦に流れる月光川の途中から酒田市六ツ新田までの7kmほど。
遊佐郷の年貢米を酒田蔵に運搬するために掘られた運河とのことだった。

当時はもちろんこの西側を流れる1本の運河だけではなく、
遊佐町内からも「万部通川」が京田を経由して西通川につながっていた。

さて、酒田市六ツ新田で日向川とつながった運河は、
上藤塚から船通川を経て、新井田川、さらに鶴田橋に出て藩の米蔵に運び込んだという。
現在の河川名で言えば豊川から幸福川を経由して新井田川へと運搬されたのだろう。









この当時、実はまだまだ河川の海への出口の変化が収まらず、
月光川にしても日向川にしても毎年暴れ川となって氾濫を繰り返していたらしい。
そして飛砂の害もあって、今のように美しい松並木が植えられてはいなかったのである。

当時の歴史を検証していくと自然との闘いを続けながらの運河の建設になっていたのだ。

先日購入した冊子「庄内砂丘の海岸林」とここで繋がった。
先人の苦労の跡がこんなところにも表れているが、さて私はもう少しこの周辺を歩いてみたいと思う。

最後の写真は西通川の堤防に植林された桜並木である。
東屋などもあって、春には花見で楽しむところなのだろう。






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