2017年02月06日
醤油寒天(香梅咲)
2017年2月6日(月)
酒田市中町にあるマリーン5清水屋1階総菜売り場。
いろんな惣菜が並べられているなか、料亭香梅咲(かめざき)作成の御馳走もある。
その中で気になる惣菜があった。
名前も張り出されていなくて何と呼べばいいのかわからないまま、
レジのお姉さんに聞いたところ「醤油寒天です」と言うのだった。
私がイメージしていたのは「玉子寒天」だったが、
予想に反して「醤油寒天」とのこと。
玉子寒天は全体に真っ黄色なのだと言うことだった。
昔私が小さかった頃食べた寒天もこんな風に中にゆで卵が入っていた。
しかし、こんな芸術的な切り方ではなく玉子切りで厚さを均等に切られたものだった。
美味しくてできるとすぐに味見と称して端の方を食べることが、
うれしくてうれしくてしょうがなかった。
大人になって牛乳寒天やみかんの寒天、
タラコの寒天など珍しい寒天にお目にかかったことはあったが、
残念ながらゆで卵を入れた寒天はついぞお目にかかったことはなかった。
なつかしさもあってつい買ってしまったが、
長さ20㎝ほどで380円だった。
高いのか安いのかわからないがじっくり味わってみようと思う。
2017年02月06日
酒田市飯森山集落
2017年2月6日(月)
昨日お散歩した酒田市飯森山集落付近の一角にあった「本末之碑(ほんまつのひ)」。
説明書きにあるように飯森山集落の成り立ちについて書いてあった。
元治元年(1864年)坂野辺新田村から13戸が屯田兵として移住してきて、
そのまま飯森山集落となった。
屯田兵とは懐かしい名前だが、
平素は農業をしていてひとたび何か有事があれば兵隊となる人たちのことだ。
結局は何事もなかったようである。
元治元年(1864年)と言えば日本は幕末。
京都で池田屋事件が起こったのがちょうどこの年になる。
中央の動きとは全く関係なく、
当時の飯森山集落は農業一筋の町だったのであろう。
酒田町が誕生したのが1889年。
それよりも遡ること25年の頃の話となる。
※ 本末之碑の本末とは物事の初めから終わりまでのいきさつのことを表している。飯森山集落の歴史という意味だろう。