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黒メダカ
黒メダカ
何よりも自然が大好き。そして旨いものが大好き。ニックネームをめだかの親分から黒メダカへ変更しました。

2018年05月19日

上の神宿は幼稚園児が占領




2018年5月19日(土)

昨日雨が降る前に行った上の神宿。
酒田市上本町にある「秋葉神社」。

小さな神社ながら小ぎれいに掃除も行き届いてほっとする空間。
折しも酒田幼稚園の子供たちが訪れていてわいわい賑やかな神宿(とや)。

おみやげの小さな御菓子を大事に抱えて靴を履いて帰って行った。
思ったよりもおとなしくて、相当言い含められてきたのだろうな。

こんな小さな神社に来たことを覚えているのだろうか。
昨日はもうひとつの保育園が来るのだと言っていた。

御菓子の中のバイキンマンが不評で困っていた。
ところが御菓子のなかで一番多いのがバイキンマンなのだった。

小学生も中学生もみんな上と下の神宿見学をしてもいいのになぁと思うが、
はたして教育現場にそんな余裕はないかな。
生きた教育だと思うが・・・



  

Posted by 黒メダカ at 08:21Comments(0)酒田関連

2018年05月18日

下の神宿最上屋旅館は宝ものばかり




2018年5月18日(金)

昨日霧雨が身体にまとわりつくように降る中、
酒田まつりの下の神宿(とや)最上屋旅館を訪れてきた。

さすがに歴史のある建物と同じくここの下内匠町所有の素晴らしいお宝まで飾られて、
どこを見ても貴重な一品だらけの神宿となっていた。

まずは塞道幕絵「猩々(しょうじょう)」。
その昔内匠町(たくみまち)町内にあったとされる能舞台で「猩々」が演じられ、
それを人々が見物している様子が生き生きと描かれている。









雨の影響でビニールで覆われているが、実物はもっとすごい幕絵となっていた。
なお、「猩々」とは中国の伝説上の生き物で、酒を好み、長く赤い毛が特徴。
おめでたい演目のひとつとなっている。

軒先から家の中を覗くとそこには押絵が所せましと飾られていた。
そして欄間の見事さもまた見どころのひとつとなっていた。







玄関から入るとまるで時代劇にでも出てくるような仕事場の風景と、
古めかしいお雛様飾り。

しきりとお神酒を勧められたが途中まで車で来たことを告げて丁重にお断り。
代わりにするめを数本半紙に包んで手渡してくれた。





明日もお天気が悪そうだが、
土曜日は私も晴れてお休みになる。
少しだけお神酒をいただいてもう少しじっくりとお宝見学を楽しもう。




  

Posted by 黒メダカ at 08:19Comments(0)酒田関連

2018年05月15日

酒田まつり下の神宿は最上屋旅館






2018年5月15日(火)

酒田まつりが始まる19日を前にあちこちに祭りの提灯が飾られている。
こちらは酒田市中町の下の神宿「最上屋旅館」。

大正末期の建物ながら由緒あるしっかりとした造りの建造物だ。
『日本ボロ宿紀行』に名前が出てきたりと一躍有名にはなったが、地元酒田ではあまり知る人はいない。

実は今日から上(かみ)と下(しも)の神宿開き(とやびらき)がある。
昔ながらの地域のお宝が飾られ、見物にきた客には樽酒が振舞われる。

私も歩きながら上から下へと神宿周りをしてみようかと思っているが、
お天気も良くなって絶好の飛島日和となった。
行くなら一泊二日での小旅行となるが、明日の天気はどうなのだろうか。

少し様子を見ながら飛島行きをキャンセルするかどうかを決めよう。


  

Posted by 黒メダカ at 08:18Comments(2)酒田関連

2018年05月10日

河村瑞賢生誕400年






2018年5月10日(木)

今年は江戸時代に酒田湊を起点に西廻り航路を開いた商人・河村瑞賢(1618―99年)の生誕400年。
これを記念して酒田市は今年、瑞賢の生誕地・三重県南伊勢町と連携し、酒田の魅力を全国に発信している。

酒田市日和山にある瑞賢の銅像は酒田市出身の彫刻家高橋剛氏の作成したもの。
実は三重県南伊勢町にも同じ作者が作った銅像が立っており、日本でたった二ヵ所だけに瑞賢の銅像がある。

西周り航路は最上川流域の米を酒田に集め、酒田を起点に下関海峡、瀬戸内海を通って大坂、江戸へと至る航路で、
酒田では今も、港町酒田の繁栄の礎を築いた偉人として紹介されている。

しかし、こんな立派な事業をした偉人の銅像がここにあることを知っている人は案外少ない。
幟旗を立てて意識高揚をしようと酒田市では必死のアピールをしているようだが、
それほど市民の反応は鈍い。

あまりお天気の良くなかった昨日、
仕事が終わってから久しぶりに日和山を訪れたが、深緑がまぶしく目に飛び込んできた。

ツツジの花が色鮮やかな花を咲かせて、
ひとときの安らぎを与えてくれていた。

来週は酒田まつりが開催される。
勇壮な山車を見ることができる。
緑あふれる日和山の景観に少しだけ瑞賢生誕400年の幟が揺れていた。


  

Posted by 黒メダカ at 08:04Comments(0)酒田関連

2018年04月26日

中町モールの屋根完成






2018年4月26日(木)

昨年から工事が行われていた酒田市中町の中町モール改修工事がほぼ終了した。
久しぶりに訪れたマリーン5清水屋脇の屋根付き広場は、
思ったよりもかなりの広さがあった。

平成27年4月から行われている「新酒田市中心市街地活性化基本計画」。
中町エリアに関する事業のなかで中町にぎわいプラザ整備事業とともに、
中町モール改修事業も行われてきていた。

どんなふうになるのか楽しみにしつつも、
何かよくイメージがつかめないままの工事期間中だった。

何やら仕掛けらしきものも地中に隠されているようで、
今後の使い方を見てみようと思っているが、
果たしてこれまでと何がどう変わっていくのかが大きな焦点となる。








  

Posted by 黒メダカ at 08:01Comments(0)酒田関連

2018年04月18日

市役所前の大獅子参り




2018年4月18日(水)

母が亡くなった3月から4月にかけて、
この大獅子のそばを何度通ったことだろうか。

雪が降ったり、急に暑くなったり、
そしてまた急に寒波が来たりと変化の激しい一ヵ月だったが、
市役所前の桜がようやく満開になった。

預貯金通帳解約のための謄本や改正原戸籍、
戸籍付票に除票、住民票と、見たこともない文書を何度もいただいた。

年金関連でも同じようにまた必要となって訪問。

なかなかできなかった市役所駐車場も完成し、
何度も往復した道路向かいの駐車場は今では懐かしい。

あと一ヵ月もすると今度は酒田まつりのパレードがやってくる。

19年前に父が亡くなり、今年母が亡くなった。
順番から行けば今度は私の番だ。
あと何年生きられるかわからないが、
まだもう少しやり残したことがある。

せめてあと10年の計画をこれから考えようとしている。


  

Posted by 黒メダカ at 08:03Comments(0)酒田関連

2018年03月22日

酒田夢の倶楽(くら)華の館の雛飾り




2018年3月22日(木)

酒田市山居町にある山居倉庫の中にある「酒田夢の倶楽(くら)」。
展示館「華の館」では季節柄華やかな雛飾りが展示されていた。

雛飾りはあまり興味もないがやはり豪華絢爛な色を見るとウキウキする。
吊るし飾りも色鮮やかなものばかり。

展示場に入ると歴史絵巻を見ているようでまるで別世界に来たように感じてしまう。
酒田の古くからの歴史を目の当たりにして思わず唸ってしまう。

外は冬に逆戻りしたような風が吹いて散歩は無理。
そんなときはこんな建物のなかを歩いて過ごすのも悪くはない。








※ 身内の不幸があり、しばらくブログの更新は無くなる予定。



  

Posted by 黒メダカ at 08:12Comments(0)酒田関連

2018年03月12日

庄内地震の歴史






2018年3月12日(月)

昨日は大震災からちょうど7年の節目の日だった。
そうか、あれからもう7年が過ぎてしまったか。

酒田市南新町にある日和山を散歩しながら見るともなしに赤い大鳥居脇の小道を登って行った。
ここは以前も行ったことがある甲午(きのえうま)震災記念碑があるところだ。


『甲午震災記念碑』

明治27年(1894)10月22日午後5時35分、庄内地方は大震災にみまわれた。
夕飯の時刻でもあったので、火災も発生し、未曾有の大惨事となった。
酒田町の過半数に当たる1747棟の家屋が全焼し、160人を超える死者がでた。
庄内全体で死者700人を超し、焼失家屋も3500棟を超したが、
船場町(ふなばちょう)、傳馬町(てんままち)、秋田町、袖浦村、広野村、新堀(にいぼり)村など、最上川下流域地帯の被害が特に激しかった。

天皇皇后両陛下の御下賜金(ごかしきん)、全国からは多額の義援金が送られるなど震災救侐(きゅうじゅつ)があった。
本間家は仮設病院建設の為に200円を拠出した。

旧庄内藩主酒井氏、風間氏、本間氏、松井氏、池田氏など鶴岡、酒田の豪商有力者による救援炊き出し、
本町太平医師など町医者による病人、怪我人の医療が行われた。

明治33年、白崎善吉、橋本熊五郎、木村茂三を建設惣代人とし、
酒田浄福寺住職菊地秀言が碑文を作り、石碑を建てて賑侐(しんじゅつ)の徳を悠久に伝えるとともに、
防災の心構えを忘れないよう是に記した。
(全文)


「甲午震災」とは「庄内地震」の事であり、マグニチュードは7.0
山形地方気象台の記録に拠れば「死者726、負傷者1,060、住宅全壊3,858、家屋焼失2,148」の大惨事だった。

その後も酒田大火など大きな災害に見舞われながらも、
この町に住む人々はしぶとく生き抜いている。

しかし、いつやってくるかわからない自然災害。
その気構えはしっかりと持ちつつ対策を立てながら生きていきたいと思う。


  

Posted by 黒メダカ at 08:11Comments(0)酒田関連

2018年03月02日

酒田雛街道の清亀園






2018年3月2日(金)

昨日からの暴風が夜中まで耳についてなかなか寝付けなかった。
何しろ震度3がずっと続いているような感じだった。
このまま家が飛ばされてしまうのではないかと気が気でなかった。

昨日夕方の酒田市浜田にある清亀園(せいきえん)。
酒田雛街道の主要展示施設になっていることから見物に来る人も多い。

しかし、さすがに昨日は大荒れのお天気。
酒田雛街道の幟(のぼり)も今にも折れてしまいそうな風だった。

3月3日は桃の節句。
ひなまつりにふさわしい季節になったがただ眺めて歩くだけのおひなさまは、
私にとってあまり興味の対象とならない。

日本全国おひなさまで我が家にもおひなさまはあるが、
このところずっと飾ってはいない。




  

Posted by 黒メダカ at 08:02Comments(0)酒田関連

2018年02月26日

酒田のお城はどこだ?




2018年2月26日(月)

このところ立て続けに酒田のお城の話題になったことがあった。
西郷隆盛さんの南洲神社が酒田市飯森山にあるのが話の始まりのようだが、
皆さんもともとあった酒田の亀ヶ崎城のことを知らない人が多い。

酒田市亀ヶ崎にある県立酒田東高校の場所が亀ヶ崎城のあった場所になる。
しかし、観光地ではないため誰も近づくことはできない。
無断で酒田東高校に入るわけにはいかない。

そして亀ヶ崎城址としての面影も西側に連なる3mほどの土塁(どるい)があるのみで、
建物も堀跡も何も見つけることはできない。

もともと酒田にいた殿様は本間様の陰に隠れてあまり目立つ存在ではなかったこともあって、
酒田市民も亀ヶ崎城を観光に使おうなどとは考えていなかったようだ。

山形県内をあちこち歩いてみて感じるのはやはり歴史的建造物を大切にしていることだ。
山形の山形城跡「霞城公園(かじょうこうえん)」を始め、
米沢の「松ヶ岬城」や新庄城址「最上公園」、鶴岡の鶴ヶ岡城址「鶴岡公園」など、
しかし、酒田にはそんな公園は見当たらない。

本間様や三十六人衆が商人だったことから亀ヶ崎城の城はあっても、
別に自治組織を作り運営をしていたことも影響しているのだろう。

昨日歩いた酒田市亀ヶ崎にある酒田東高校脇の道路には、
亀ヶ崎城についての説明が少しだけ掲示されている。







3mほどの土塁でも甲冑(かっちゅう)を着て登るのは大変だっただろう。
山城と違って平城(ひらじろ)の亀ヶ崎城はやはりお濠で城を守っていたようだが、
酒田市民は保存することもしてこなかったようで、まるで跡は見えない。

  

Posted by 黒メダカ at 08:17Comments(0)酒田関連